私の父は2015年に亡くなりました。
亡くなってから大分経つので父の事を考える事は少なくなったのですが、たまに自分が小さい時の父の事を思い出しては涙が出てしまう事があります。
今これを書きながらも感情的になっている自分がおります。
パーキンソン病と闘っていた父の後半の人生
かれこれ16年程パーキンソン病を患っていたのですが、最後の方は体の自由が効かない状態で可哀そうな位でした。
一時期85キロ程あった体もやせ細って、短いと思っていた足が肉がなくなったら案外長いんだね、なんて皆で冗談言って笑ったりしていたものでした。
レビー小体型認知症も患っていましたので、いつも「小動物がパジャマの中に入ってくるから、パジャマの裾をビニール紐で結んでふさいで欲しい」という変なリクエストをしてきたものでした。
突然私たちには見えない何かに向かってにっこり笑って、「ね、あそこに猫ちゃんいるから餌あげておいて」と言われたりもしました。
誤嚥が酷くなってからは、胃ろうにして、味わう喜びもない状態で栄養を摂っていました。よく、昔行っていたラーメンショップのラーメンが食べたいと言っていました。
最後の方は父は病院に入院していたのですが、毎日母は父に会いに行ってから夕飯の買い物に行っていました。
たまに私も週末に顔を出したりして、母と一緒に、父の口の中で干からびて、顎や舌にこびりついている痰を掃除しました。
一度、看護婦さんが痰を吸う機械で痰を吸っていた時、父がすごく苦しそうにむせて、でもその看護婦さんの手を払いのけたり、顔をそむける程の体の自由もなく、何だか見ていて辛い気持ちになりました。
ただ、私が父に対して偉いなと思った所は、きっとプライドはあるはずなのに、それを表に出さなった所です。
それなりに父の年代の男性はプライドが強く残って、ヘルパーさんや看護士さんの手を焼く方が多くいると思います。今良く聞く「ペイシャントハラスメント」という事をやりがちな年代といいますか。
父はそういった威厳やプライドを上手に捨てて、体の自由が未だ残っていた時から、お世話をしてくれる人達に抵抗する事なく素直に身を預けていたので、賢いなと思っていました。お世話してくれる人に親しみを持ってもらう方が良いに決まっているからです。
ある時突然亡くなった
そんなある日の夜、父は入院先でパタリと亡くなってしまいました。
少し元気になってきたのであと少ししたら一時退院という話も出ていた矢先でした。
あまりにあっけなく亡くなったので、心が追い付かず、ただただ私は父の無念を思って涙が止まりませんでした。
と同時に、「あぁ、やっとこの動かない体から解放されるね、自由に動き回って色んな友達や家族と再会してね。」と心底父の天国での自由と幸せを願いました。
いつか亡くなるという事は分かっていても、いざ亡くなり、父の鼻や口、耳等に綿が詰められた状態を見ると、息が出来ない所に綿を入れられても、もがき苦しみもしないので、あぁ、やっぱり亡くなったんだと、ポカンとした気持ちでした。
父との関係
小さい時はお父さん子だった私ですが、学生の頃辺りから、父とはあまりコミュニケーションをとらなくなり、母経由でしか物事を伝えなくなっていました。
生前は、父の価値観が古く感じられて、何か私が奇抜な事をやったり言ったりすると「そういう事はやめなさい。。」と言われ、なんでも抑制される感じがしました。自分らしくいられないので次第に父を避けるようになっていた気がします。
そして、大人になってからも、大事な事を伝えるのは全て母を通してでした。
戦争を知っている父が生まれた時代と、私が生まれた時代は余りに違い過ぎていた故の価値観の違いだったのだと思います。
今、父に対して思う事
私と父は違うと感じながらも、この年になって、自分の中に確実に「父」の部分があるのを感じます。父の性格や考え方などです。
亡くなった今だからこそ思うのかもしれませんが、もっと違った関係で、本音を話せる父と娘でありたかったなと思います。そして人生の厳しい局面にぶち当たって悩んだ時に、相談相手として父にも話を聞いてもらえてたら、良かったのになと思いました。
避けていた自分を思い、もう戻せない時間を考えると、自分の中で父に対する多少の後悔と上手く向き合う為に、もがく毎日を過ごしています。
でも決して苦しいもがきではなく、自分が小さい時に愛情をたっぷり注いでもらった素敵な思い出が、今の自分の人格を作っている大きな礎になっているという事に改めて気づいて、その後悔を良い思い出で囲っていっている感じです。そしてその思い出は心の中に忘れず大切にしまっています。

ブログ主の父の若い頃です。思い出に載せておきます。
親子にはいろんな形がある。でも小さい頃に大切にしてもらった感謝は忘れない。
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